原爆の図 丸木美術館に行ってきた

2ヶ月前くらいだったか、TBSラジオアフター6ジャンクションの放課後ポッドキャストで「丸木美術館が9月で長期休館になる」というメールが読まれてから、ずっと行ってみたいとは思っていたが2年間見られなくなると思うと行くか……と思ってから、2ヶ月が経とうとしていた。

というのも、なんせアクセスがよくない。

一旦東京に行ったとしても池袋から1時間電車に乗り、その後タクシーでの移動があるという。どうしたもんか。と思ったものの、結局車で行くことにした。僕の住む静岡県から4時間弱かかるらしいが、新幹線に乗ってから電車とタクシーを乗り継ぐ手間を考えたらそんなに考える余地はなかった。

神奈川に住む友人と行くことになり、友人の住む場所まで2時間30分、そこからならだいぶ気は楽になる。ラジオ番組2つくらい聴けば着いてしまう。土曜に行くので前日のプレ金を聴けばいい。友人が乗ってからは話していればあっという間だ。

当日の天気は大雨。久しぶりに大雨の中ワイパーをジャコジャコ動かして高速を走った。大雨の日は1日休みで家から一歩も出ないか、高速道路をひたすら走るのが2大よい過ごし方だと思っているので、幸先がいい。

東松山インターで降りると、ラブホテルの看板が並ぶなかなかの田舎。
ナビのいう通りに走って辿り着いた。
辿り着いて思ったのは、車で行くことが推奨だということ。
最寄りの駅から徒歩50分、もしくはタクシーというのはなかなか大変だと思う。

丸木美術館に着いて迎えてくれた看板

入館料は900円のところ、JAF会員証で100円引かれて800円。お釣りは募金箱に入れて入館した。

丸木美術館の外観

入るとまず物販コーナーを通り過ぎて階段を上がって2階の展示室。
17分くらいの映画『原爆の図』がプロジェクターで投影されていた。これから見るものがどのような経緯で描かれたものか。簡潔に語られていて、自分は前知識としてなんとなく知っていたことだったが、友人はほとんど何も知らずに来ているのでだいぶ参考になったよう。個人的にも映像資料としてとても興味深かった。
最初の絵を各地で展示し、それ以降寄せられた多くのひとの見てきたものの体験がまた、夫妻の創作に対する何かを駆り立てている様子は鬼気迫るものがあると感じたが、まさにそれはその後見る絵を見てまさに感じるものだった。

展示されている絵はインターネットの画面越しで見られるが、実物を見ると当たり前にその大きさに驚くというか、圧倒された。それは縦1.8メートル、屏風が横7メートル近くある屏風に精細さと力強さを合わせて描かれる原爆の凄惨さ。

絵なので想像でしかないのだが、描かれた瞬間はかろうじて生きていたとしてもその数秒後、数分後、数時間後、数日後その被害によって亡くなるであろうひとを描く。ということがいかに精神的にしんどいだろう。と考えをめぐらせても追いつかない。想像のしようもない。ただ、夫妻の「この真実を伝えなければならない。」という想いなのか執念なのか、そのようなものを想像した。

夫妻が原爆の絵を描き続けたというのはなんとなく知っていたが、焼津。第五福竜丸の水爆被害を描いていたこと、米兵や朝鮮人の原爆被害もそれぞれに描いていたことは全く知らなかった。

「原爆の図」は15部(15作)あり、見ていくと描かれているものが「原爆の被害」ではなく「原爆と人間」そのものではないか。と思えてきた。
被害を伝えたいのではなく、原爆そのものの恐ろしさを伝える。政治的なようで普遍的とでも言うのか、とにかくこんなこと二度と犯してはならないのだ。という強い意志を感じる。

それは決して小さくはない、なんなら大きいひとつの部屋の壁にまるごと掲げられた「南京大虐殺の図」、「アウシュビッツの図」、「水俣の図」でさらにその絵の大きさもあって圧倒された。
言葉を選ばないのであれば「どうかしてる」のだ。しかし、それぞれの事象もまた「どうかしてる」としか言いようのないことでもあるように思う。

被害を語るのではなく起こったことの凄惨さを語るにも、国や、言語、立場等で伝わらないことも多々あったであろう夫妻が出した答えが「全部描く。人間の愚かな歴史を可能な限り、自国の加害も、全部描く。」とでもいうような想いを駆り立てたのではないか。と想像し、その強い意志にゾッともする。狂気じみた意志がなければ描けない絵だし、伝わらないのではないか。とも。

入り口の物販に戻り、「焼津」と「署名」2枚のポストカードを購入した。「焼津」は地元静岡の絵だし、「署名」はしんどい絵が多い中でもエンパワメントされる絵だ。

購入したポストカード「焼津(手前)」「署名(奥)」

インターネット越しに、画面越しにも見られるが、実際に見るのとでは全く意味合いが異なるのではないか。もしかしたら休館の間、全国で企画展が行われたりもするのかもしれないが、それもやはり丸木美術館というある種特別な場所で実際に見られてよかった。

アクセスは大変よくないが、帰りは原爆の図や丸木夫妻に想いを馳せる時間になった。

「原爆の図 第十五部 ながさき」のある長崎原爆資料館や「沖縄戦の図」のある沖縄・佐喜眞美術館にもあらためて機会を作って行きたい。

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