ポッドキャスト番組『岸政彦の20分休み』が終わってしまった

ラジオリスナーとして好きな番組が終わってしまう。というのは初めての経験ではない。しかし『20分休み』はなんとなく終わらない番組だと思っていたのでショックが大きい。読まれていないメールもあと5ヶ月分ほどあるはずだ。

番組を聴き始めたのは岸先生がTBSラジオ『荻上チキ Session』の大阪の生活史特集に出演されたことで、楽しそうに話すおっさんだな。というのが第一印象だった。その中でチキさんが「番組を始められたそうで」と切り出したことが『20分休み』を知ったきっかけだった。

番組を聴いてみると、そこには顔も知らない無数のひとの人生の断片が送られていて、岸先生の優しい語り口とともに、あっという間に好きになった。その時点で聴ける全ての回を2,3日のうちに聴いてしまったのではないか。もしかしたらその日のうちに聴き終えてしまったかもしれない。

岸政彦という社会学者を知るきっかけにもなった。実際のところは『東京の生活史』の存在は知っていたのでうっすらと認識していたはずなのだけど。過去のSessionやアトロク出演も聴いていたはずなのにあまり記憶にない(某で昔の音声を聴いたら脳みそがかすかに記憶していて、あのときのアンタ、岸先生だったんか……!とはなったりした)し、岸先生が案内役だった100分de名著のディスタンクシオンの回とか好きすぎて繰り返し見ていたのに岸政彦という社会学者を認識していなかった。

Sessionの大阪の生活史特集と、20分休み、からの大竹まことゴールデンラジオ出演時のアーカイブを聴いたらハマったというか、好きになったというか、落ちた。といっても差し支えがない。Twitterアカウントもフォローしたし、Youtubeで聴ける過去のラジオ出演時の音源は片っ端から聴いた。

仕事をしながら耳にイヤホンを突っ込んでいることがなんとなく許されている職場なので、番組は仕事をしながら聴いている。毎週笑いをこらえ、たまに泣きながら聴いていた。配信が始まる12時ごろにSpotifyを開いていた。来週はもう更新がないというのはやはり寂しい。

番組では二度メールを読まれた。

ひとつめは「あの日、名古屋駅で偶然居合わせた自分を含めた3人のうち、いま生きているのは自分だけ」の話で、ふたつめは「今度沖縄に行くのだが、前歯が折れた」話。ふたつめのメールで岸先生に爆笑してもらったのがとても嬉しかった。前歯が折れた意味があるとしたら、岸先生に笑ってもらえるために折れたのではないか。とすら思いたくなる出来事だった。

好きな回はエンディング後に岸先生がさんぽから帰ってきたちくわを2階から呼ぶ音声が入ってる回。あの音源にこの世の愛おしさの全てが詰まっていると言ってもいい。それにしても読まれた個々のエピソードを覚えていない。言われたら思い出すのだろうが、全く思い出せないが、そういうものなのかもしれない。

沖縄という土地に興味や関心はあったが、積極的に知ろう。と思うきっかけにもなったのも岸先生だったのではないか。打越正行先生は本のタイトルの強さから記憶しており『ヤンキーと地元』、上間陽子先生の『裸足で逃げる』、『海をあげる』と岸先生の『はじめての沖縄』と読み進めていった。こう振り返ると沖縄戦ではなく沖縄社会学(という書き方で合っているのだろうか)から沖縄を知っていったのだ。

沖縄に初めて行ったのが今年の4月。岸先生だけではないが、番組を聴いていなかったら行っていなかったのではないか。この旅行はまとめてZINEにするつもりだが、まだまとまっていない。1月の名古屋ZINEフェスに申し込んでいるので、いよいよどうにかしなければいけない。

20分休みは「他者の人生の断片」に触れることができる番組だった。ラジオというもの(この番組は厳密にはラジオ番組ではない)がそれに向いているメディアではある。しかし、岸政彦というフィルターを通じて語られるそれらは少なくとも自分にとってかけがえのないものであり、あらためて他者を愛おしく思うことができる場所であった。温かくも寒くもない、しかし安全は担保されている場所とでも言えるだろうか。とにかく素晴らしい番組だった。

番組は終わってしまったが三木幸美さんと個人でポッドキャストを始めるらしいので、しんみりし過ぎる必要もないのかもしれないが、毎週20分近くあの声を聴ける時間がなくなってしまったのはなんとも寂しい。

TBSラジオか文化放送あたりで岸先生の新しい番組が始まることを願う。
平日の22時台あたり岸先生が1時間やればいい。

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