あんぱんが終わり、ばけばけが始まった

なんだかんだほぼ全ての回を見た朝ドラ『あんぱん』が終わった。
ほぼ全てというのは、海辺でメイコが歌う回を見逃しているからだ。

最終回まで見て『あんぱん』はとても面白かったし好きな朝ドラだったと言える。朝ドラを好きになるかどうかは話やあらすじよりも「主人公を演じる俳優を毎日見たいと思えるかどうか」が大きいように思える。
そういう意味では今田美桜は毎日顔を見て元気になるような俳優だった。個人的にはやはり序盤によく見た楽しそうに走る姿、“はちきん”な姿を見るのが好きだった。
戦争の空気が漂う中で愛国に目覚めていくのは見ていてなかなかキツいというか、2025年に生きている身としてはどうしても嫌いになってしまいそうでもあった。そこでこの作品から離れずにいられたのは主人公やないたかしを演じる北村匠海がまたよかったからだ。

あまり日本のドラマや映画を見る方ではなく、朝ドラと野木亜紀子のやつだけ見てりゃいいや。あとはそのとき見たいものだけ……という雰囲気の自分にとって北村匠海という俳優はNetflixの『幽遊白書』くらいしか見たことがなく(あれは面白かった)、歌も歌う子だよね?みたいな認識だった。北村匠海は戦争編あたりから本当にこんないい俳優だったんだ。と、何度も思わされた。
あまり目がキラキラしていないのがいいな。と思っていたのだが、あさイチか何かに出演していた際には目がキラキラしていたのでそんなところまでコントロールできるのか。と、さらに驚いた。
なにより平成生まれの自分の中の印象としてのやなせたかしと北村匠海演じるやないたかしがしっかり重なる部分があるのも大きかったように思う。メイクやファッションでしょう。と言われればそうかもしれないが、それでも“誰を演じているか”がすぐにわかるのもすごい。

もちろん不満がないわけではない。
のぶは序盤こそたかしを引っ張っていく存在だったのが中盤以降はたかしを支える役割に徹してしまって、作中でも「自分は結局何者にもなれなかった」といった描写があったかが、やはりたかしのサポート役になってしまったのは少し残念ではある。時代背景や史実に対して仕方ない部分はあるのも事実だろうし、かといってのぶが世間一般的な「家庭的な女性」かといえばひとりで山に登るような(実際ののぶ夫人は作中以上に登山をするひとだったそう)描写もあったり、バイタリティ溢れる家庭に収まるようなひとではない。という塩梅の描写はとてもよかったが、もう少しどうにかなんなかったかね。とは思わないでもない。

終盤登場人物の死をセンセーショナルに扱わなかったのはとてもよかった。
特にハタコさんとトミコ。流れた年月の中でさらっと語られる死はさながら「ほいたらね」と言いたくなるくらい爽やかな語り口で、物語の終盤ってヤムおんちゃんはいくつなんだい?と言いたくなるくらいの年齢にもかかわらず相変わらずフーテンのようで、ヤムおんちゃんの死を語らなかったのは本当によかった。

『あんぱん』はやなせたかしの生涯についてあらためて興味を持つきっかけにもなった。あらためてやなせたかしの生涯の長さというか遅咲きっぷりというか。手塚治虫や藤本弘が生まれて死ぬまでの時間を使ってやっとアンパンマンの最初の絵本が出たくらいだと思うと、くらっとする。もちろんその間にも『手のひらを太陽に』の詩や『やさしいライオン』といった作品を生み出しているのでそのマルチっぷりにも驚くのだが。
戦争を体験して「逆転しない正義」を探し求め、数十年の年月を経て『アンパンマン』に辿り着くと思うと、そりゃ半年じゃ足りなくて終わった翌週にスピンオフが始まるわけだ。

そしてあらためて想いを馳せるのはやなせたかしだけではない。もちろん『アンパンマン』。特に主題歌『アンパンマンのマーチ』。十何年かぶりに聴いたのはドラマが始まって数週間経った頃だったと思うが、その頃には梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』を読んでいたので涙が止まらなかった。全てが込められているように感じた。

なんのために生まれて何をして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ。

この言葉が胸に刺さっている。そしてやなせたかしに問われている気さえする。気にしすぎかもしれない。

そして週が空けて『ばけばけ』が始まった。
「日に日に世界が悪くなる」から始まるハンバートハンバートの主題歌に痺れる。
日に日にあらゆるヘイトが広がるのを感じるこの世界で、生まれた国が異なる夫婦の物語が何かのブレーキになることを祈る。

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