【今週考えたこと】「皇室典範」について

今週っていうか先月からずっと考えているのは「皇室典範」についてだ。

テレビのニュースでどれくらい報道されているのかはわからないが、毎日ラジオを聴いている身からすると、選挙のときそんなことするって言ってましたっけ?と、こんな大事なことをこの速度で決めようとしてるのってやっぱりどうかしていない?と、日々困惑している。物価高対策はどこへ行ったんだ。

30年以上、皇室や天皇に対し、特に強い思い入れがあったわけではない。むしろ、意識的に心理的距離を保ってきた気がする。天皇にしろ皇族(皇室)にしろ、そのコミュニティに生まれたから。という理由だけで何かしらの好意を抱く理由にはならなかった。ということが自分の感覚としては近い気がする。

多くのひとたちにとってはエレガントでロイヤルなものと見えているように見受けられる。しかし、自分に見えているのは、国家のシステムのために犠牲になっているある方々であり、籠の中の鳥。強い言葉を使うとシステムそのものが人権侵害であると認識している。

かわいそうだ。と思うのも、もしかしたら不敬なのかもしれない。しかし、内心の自由と表現の自由があるのであれば、いち日本国民のひとりとして、そう考えている人間が1人はいる。

何が言いたいかって、立法府の総意は国民の総意ではないはずだということ。そして、やはりこれほど大事なことをこのスピード感で決めようとする姿勢は、何か気づかれたくないものがあるのか、国民は違和感を持たないと思っているのか。もしくはその両方か。

個人的に、今回問われている「皇室典範改正(この改正という言葉も、どんなものもよりよくなるような書き振りは危なっかしいと思う)」の養子案だが、荻上チキSessionで話されていた「皇室というシステム維持のためのスペア」という言い回しが忘れられない。

国家のシステムの維持のために、昨日までひとりの日本国民として生きてきた人間が「スペア」として皇室になることを望む人間がどれだけいるだろう。権力を得られるわけでもない。むしろ日本の皇室システムは権力とは最も遠いものであると認識している。そんな究極的なやりがい搾取に、多くの自由を失い、日本という国のために文字どおり身を捧げられるひとがいるのだろうか。

逆に、積極的に手を挙げるひとはそれはそれでどうなんだ。とも、思ってしまう自分もいる。

自分個人としては、天皇制度・皇室制度に疑問がないわけではない。と、同時に、振り返れば少なくともここ30年近く、平成天皇(現:上皇陛下)の積み上げてきたものを思うと、否定もしたくない。皇室の方々にはひとりの人間として、幸福に生きてほしいのだ。それが、皇室内で叶うのかが、わからない。

女性天皇や女系天皇を認めたくなさすぎる姿勢にもさらに腹が立つ。こちらは天皇制度・皇室制度すらやっぱりどうなの?と思っているのに、議論の位置が異なりすぎている。

女性天皇や女系天皇を認められないのってやっぱり根底にあるのはミソジニーじゃないの。と、思ってしまうし、そりゃこの国で同性婚も夫婦別姓も進まないわけだわ。と答え合わせをしたくもないのにできてしまうのを感じるのは気のせいだろうか。

政治家の言う「歴史と伝統」だって明治以降に形作られたものも少なくないのではないか。

要は権利を与えたくないのだと感じる。いまあるもので満足しろと言われているような気になるのだ。うるせえバカ。と返したい気持ちを持っている人間がここにいる。

これを書いていたのは今日(2026年7月17日)ではないのだが、今日、参議院を通ってしまった。反対をしたのは立民、共産党、れいわ新選組、沖縄の風、社民党だという。衆議院では中道は賛成だった。これは忘れない。

今週考えたのはそんな感じ。

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