【ZINE再掲連載】はじめての沖縄③ 沖縄県平和祈念資料館

戦争に関連する資料館に行くことは決まっていました。しかし、本当に沖縄について何も知らなかったし、いままでその歴史にも何の興味も持ってこなかったのもよくわかったのです。

『20分休み』をきっかけに打越正行先生や上間陽子先生の本を読んで、現代の沖縄の貧困について何か知った気になっていました。それは沖縄について何かを知っている。と、錯覚していたと言い換えても差し支えがなくらい、観光地としての沖縄ではない沖縄について、自分は何かを知っている。そんな気になっていました。

ひめゆりの塔から車で数分走ったところにある沖縄県平和祈念資料館。そこが沖縄県営平和祈念公園内にあることすら、行ってみるまでよく知りませんでした。公園内を歩いて資料館へ向かう。風は強く、雨はまた降ったりやんだり。

資料館へ入ってみるとここでも修学旅行生と思われる団体がいました。 修学旅行シーズンなのか年中そうなのか。

資料館は戦争に関する展示だけでなく、沖縄の歴史が展示されています。年表を見ていくと「琉球処分」の文字。恥ずかしながらその言葉すら知りませんでした。自分にとっての沖縄は、戦争中地上戦が行われ県民の4人に1人が亡くなり、戦後1972年までアメリカであって、日本に“戻ってきた”場所。日本に“なる”前の「沖縄」について考えたことがありませんでした。もちろん、知識としてかつて「琉球王国」と呼ばれる国であったことは知っていたはずなのに、その文字を見るまでその琉球王国が沖縄に“なっていった歴史”については、考えようともしていなかったのです。

外国人観光客が多いというのは沖縄も例外ではないようで、資料館にも一定数のひとが音声ガイド片手に熱心に資料を見ている。インターネットに触れていると揶揄の対象になりがちですが、わざわざ海を越えてこのような場所に来るひともいるのだと思うと、背筋が伸びます。ひとによっては自分が生まれ育った国の加害生と向き合うことにもなるであろうに。それは広島平和記念資料館でも感じたことですが、修学旅行生よりもよっぽど真面目に見てました。身銭を切ってここにいるのだろうから当たり前と言えばそうかもしれませんが、もっと楽しい場所だけ行くこともできるのに、わざわざこういう場所に来ていることには素直に尊敬します。

写真展示は当時の生々しい現実がモノクロとはいえわかりやすく、わからざるを得ない形で展示されてます。地元の小学生なのか制服を着ていない子どもたちの集団も来ていたのですが、彼らもただその写真を見るほかないようでした。きっと、自分が彼らくらいの年齢でここに来ていたら、恐怖から目を逸らしていたと思います。金曜ロードショーで『火垂るの墓』が放送されても見ない。クラスの友人が「学校でマンガを読める!」と、図書室で『はだしのゲン』を熱心に読んでいるときもそれを横から薄目で見ているだけでした。そんな子どもが、30歳を過ぎていまやっと直視できるようになったのかもしれません。

外に出るともう空は晴れ間がのぞいていました。風は強く、靴の中がずっと濡れていたので裸足になって靴下を乾かします。久しぶりに裸足で歩くのも気持ちいいのと、若干痛いのと、半々くらい。公園は海に面しており、一面の景色に見惚れると同時に、ここから見える一面の海で数えきれない、その言葉通り正確な数なんて数えることができないほどのひとが亡くなった。そして、その光景をその見たひとがまだ生きてるくらいの時間しか経っていないということに、少し呆然としてしまいます。

20年ほど前、中学生の自分は戦後60年と聞いたとき途方もない時間に感じましたが、いま戦後80年と聞くと少し前でしかない。と思います。少し不思議です。

振り返って

資料館は自分なりに見て、考えるものがあったが「平和の礎」に関してはもう少し時間をかけて見るべきだったのではないか。と、思ったりもする。

帰ってきてから「平和の礎」の建設に大きく関わった大田昌秀と翁長雄志、2人の沖縄県知事を描いた『太陽の運命』を見たのでそう思うのかもしれない。

資料館に行って何かを知った気になって、結局のところ知らないという理由でいろんなものを見落としている。

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