【今週考えたこと】冥福を祈らない。
山田五郎が亡くなった。
自分にとっての山田五郎はぶらぶら美術・博物館の山田五郎であり、デイキャッチの山田五郎であり、YouTuber山田五郎であり、みうら五郎の山田五郎だった。
山田五郎が出てるから見よう。と思ったことは一度もないが、ふと目にした番組に山田五郎が出ていると嬉しくなる。そんな存在だった。タモリ倶楽部とか。
みうら五郎が始まってからは毎週のように声を聴いていて、びっくりするくらい元気そうだったので17日に公開された動画の姿に驚いたのだった。動画内でも「この俺がタバコを吸えなくなった。もう死ぬよ」と言っていて、死なないで欲しい。あと100年くらい元気に生きてほしい。と思ったのだけど、蓋を開けてみればその動画を見たときには亡くなっていたのだ。
その後、事務所が動画を更新したのが22日。その前日もみうら五郎を聴いていた。
心の準備はできていたといえばできていたので、驚いたが、驚かなかった。
5月に更新されたみうら五郎『夢』回で4日間昏睡していた話もしていて、そのときもみうらじゅんがしれっと「覚悟した」みたいなことを言っていたのでそう遠くないのかもしれない。と思っていたのかもしれない。
それにしても、山田五郎が話していた大長編の夢の話が面白かった。普段他人が見た夢の話ほどつまらないものはない。アトロクの初夢特集すら「聴かなくていい回」と思っている自分が思ったのだからよっぽどだ。
といっても夢の内容が面白かったのではないのかもしれない。恥ずかしそうに見た夢の話をする山田五郎と、根掘り葉掘り聞きつつもイマイチ話を理解しないみうらじゅんのやりとりが微笑ましかっただけの可能性も大いにある。
4日間昏睡した山田五郎に対し、「どんな夢?」「どんな感じだった?」と聞くみうらじゅん。そのやりとりで、リスナーにも2人が本当に親友なのだとわかるものだった。それはこの回が特別そうだったのではない。番組でみうらじゅんが山田五郎を病人として接した瞬間を聴いたことがなかった。いつだって仲のいい友だち同士の中身のない話を聴かされるのが『みうら五郎』だった。
『みうら五郎』は2人の友情を目一杯聴かせてくれた番組だった。過去形にするのは少し早いかもしれない。最終回が26日に更新されるという。
TBSラジオの追悼文に寄せられたみうらじゅんと山田五郎の2ショット写真も素晴らしかった。山田五郎の手にしっかりタバコがあるのに笑ってしまう。
脳内で山田五郎を思い出そうとすると、死後に公開された酸素吸入器をつけた姿も浮かばないわけではないが、それ以上に楽しそうにみうらじゅんと話している姿が浮かぶ。聴いているだけなのだがだからこそ、そう思うのかもしれない。それは、きっと今後も変わらないと思う。
まだ、全く実感は湧かない。それはそうだ。実際に会ったこともないし、電波を通じて画面越しに見たり声を聴いていただけだ。アド街もまだ出演回が放送されるらしいし、みうら五郎も未放送回がある。
それらが放送されて、やっと寂しさがやってくるのだろう。
さて、Twitterがインターネットの地獄と化してから随分見る頻度が減っていたので知らなかったのだが、事務所の発表前に訃報を聞いたであろうひとたちが「ご冥福ビーチフラッグ」よろしく我先にとツイートをしていたということを後日知った。
事務所が発表する前に触れてはいけない。といった明確なルールはないだろう。しかし、事務所が発表するタイミングを全く気にしていないのは率直に下品だとも思う。そもそも訃報を見た瞬間にSNSで「ご冥福をお祈りします」と発信してしまうのも、どうかと思っているのだが。
安倍晋三が亡くなったときも、公式の発表前に我先にツイートをしていた安倍晋三に近しい議員がいたが、あれはなんなんだろう。言いたいのだろうか。
考えすぎかもしれないが、ひとの死というものが消費するものになりつつあるのではないか。実感がない、情報としての死だけを受け取ってしまっているのだから。冥福を祈っておく言葉を添えれば故人を偲んでいるようにも見える。
今回のことでいえば、当たり前だが最も親しい1人であったであろうみうらじゅんのメッセージは内容もタイミングも含めて山田五郎との関係を大切にしているように感じた。
ひととの関係性を大切にするというのは、本来であればこういうことだろう。
誰でも何かを発信できるからこそ、何を発信しないか。についても考える。
今週考えたのはそんなこと。


