婚姻届を出す前から面倒くさい
久しぶりの日記になってしまった。
久しぶりになってしまった大きな理由はない。ただ、毎日が目まぐるしい。この間、同居人のお腹は日々大きくなり、買ってなかった指輪を買い、顔合わせを済ませた。
こういう日々が自分に訪れることを想定していなかった。
世のカップル、夫婦、なんでもいいが多くの「他者と暮らす人々」の大半がこのようなことを20代とかなんなら10代でやっていると思うと本当に尊敬する。こっちは30代も半ばになっているというのに全てが面倒くさいのだ。正直、顔合わせすら無事に終わったからこそ後出しで言えるが、それすら気が重かった。
とはいえそれも済んでしまうと残すは婚姻届の提出だ。そしてそれに伴う各種手続き。いまはこれを考えるだけで面倒臭いし気が重い。
自分は氏を変える予定である。提出予定の婚姻届の苗字の欄は、妻の氏にチェックが入っている。
2年ほど前にマッチングアプリ経由で現在の同居人と初めて会った日に、本屋をブラつきながら「さっさと夫婦別姓導入してほしいですよね〜」という会話をし、ああ、このひととはしっかり“話せる”な。と、思ったことを覚えている。
自分は元々、夫婦別姓(と同性婚)に賛成の立場で、さっさと法制度化して欲しいと思っている。まさか2年の間に選挙のイシューとしては2年前がピークで話題の中心が排外主義的なものになるだなんて思っていなかった。2年前とはいえ、隔世の感がある。
話は逸れてしまったが、夫婦別姓賛成側の立場を取る男性側にいる自分が、その法整備がされない中で結婚というものをするにあたり「夫婦別姓には賛成だけど、法制度化されてないわけで、“普通”にこっちの苗字に合わせてくれるよね。」と申し出るのは自分の中でどうにも辻褄が合わなかった。
以前、中井治郎『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』という本を読んだところ、法律上、夫婦同姓を義務づけている国は、先進国では日本だけであり、その日本で90%以上が「女性側が男性側の氏」に合わせるという。
夫婦別姓の議論になるとそれがこの国の伝統みたいな話が出るが、そんなものは明治維新以降に作られた伝統というにはあまりにも浅い歴史であるし、作られたものでしかない。文句があるならパートナーシップ制度や事実婚をすればいい。とも言われるが、それらと法律婚ではカバーされているものが異なるし、それを選択しても別の言葉を投げられるのだろう。
自分の周りでも感じることだが、結婚をするにあたって、当たり前に女性側が氏を変えてくれると思っている男性が多すぎる気がする。なんというか自分(男性側)が氏を変える想定なんて最初からしていないというか。それもなんとなく嫌だった。言葉を選ばないのであれば、一緒にするな。だ。
しかし、役所に紙を出した後を想像すると本当に面倒臭い。
まずマイナンバーカードだ。ただでさえイヤイヤ作ったのに、名前を変えなければならないという。次が免許証。銀行にクレジットカード、保険、パスポート、証券会社に各種通販サイト……バカらしくて仕方がない。
本当に夫婦同姓制度は問題ないのだろうか?
この国の多くの女性が結婚をしたからという理由で時間を割いていると思うと、時間の無駄だし、問題だらけな気がする。
国の都合で結婚する2名のどちらかが、氏を変えなければならない制度のおかげで無駄に有給を取らなければならない。もちろん手続きはその日1日では終わらないので休日も使うことになるだろう。
「生産性」という言葉はあまり好きではないが、それこそ手続きのために国全体の生産性はどうやったって落ちるのではないか。それでも守りたい「伝統」であり『歴史』でしょうが。
本当に馬鹿らしいと思ってしまう。今日でも明日でもいいから夫婦別姓導入しろバカ。
