武田砂鉄『父ではありませんが 第三者として考える』を父ではない、父になりつつある中で読んだ

同棲をすることが決まっていたパートナーの妊娠がわかった。お互いそれなりの年齢であり、もういつ妊娠しても高齢出産になるわけで、年齢を重ねていればいるほどに妊娠の確率は下がっていく。じゃあまあ、その分母をひとつ足してみましょうか。と、互いの同意のもとでのことだった。

なので、驚きはしたが、喜びのほうが上回った。

そんなタイミングで武田砂鉄さんの『父ではありませんが 第三者として考える』が文庫になると知り、「父」というものではない状態から、1年後にはなっている(であろう)いま読まずして。と、思い、手に取った次第である。武田砂鉄さんのことは元々プレ金リスナーでラジマガリスナーなのでいくつか著書も読んでいたが、こちらは未読だった。なぜなら単行本が出た当時、ピンときていなかったからだ。

本の裏には「父ではないことで、社会から「足りない人」と向けられている人は多い。」と書いてある。確かに、自分もどこか足りていないのではないか。そんなことない。足りるも足りないもない。いや……と、何度も行ったり来たりを繰り返し、マッチングアプリに登録をして出会ったのが現在のパートナー。社会の目線、というか、こういう(人間誰しもそれなりの年齢になったら結婚する)ものでしょう。そのようなものに対し、そんなことないだろう。という気持ちと、でも、そっち側に行きたい。という気持ちがあったのも事実で、現在に至る。

結婚をすること、子どもを持つことは普通のことなのか。

どうでもいいけど、以前よく使われていた「出来ちゃった婚」にはなんというか、アクシデント感やうっかり感を感じたが最近の「さずかり婚」という言葉に変わり、幸福なことなんだから、細かいことはいいじゃないですか。という空気を感じる。この言い換えはなかなか印象が異なるのでものはいいようだ。

砂鉄さんの自分の中のザラついた、表に出さなければ誰にも見えないきっと砂鉄さんにとって都合のよくない部分も一旦出してみる姿勢が好きだ。自分は、そこまでできるかわからない。

「子どもの話ばかりでつまらないでしょう」と聞いてきた友人に対して「うん、つまらないね」と返す、砂鉄さんの中では付き合いの長さと信頼関係の中でその反応そのものが「笑い話」になることを想定していたが、ならなかったエピソードも興味深く読んだ。

重なる部分は少ないかもしれないが、長い付き合いの友人に子どもができて、生まれた。その友人に「いつでもこの子に会いにきてね。この子にはいろんなひとと接してもらいたいから。」と言われ、モヤついたのを覚えている。何というか、その子は自分にとって友人の子どもであり、自分の友人ではない。その言い分に、友人にとって自分は「子どもの経験値」なのか?という、気持ちが湧いたことを思い出した。その友人とはなんとなく疎遠になりつつある。

本を読んでいて、友人の子どもはかわいいかもしれないが、友人に対する感情ほどのものはないな(少なくとも関係性を築いていない現時点では)と、思う。自分も他の友人に子どもを「かわいがってくれるんでしょう?」と、同意なく迫っていたかもしれない。こう書くと、子どもがいない人間にとって子どもは別にかわいいと思っていない。くらいに取られかねないが、そうではない。自分はそういう部分がないわけではないかもしれないが、少なくとも砂鉄さんはそうは思ってるわけではないと思う。

むしろ、第三者として、非当事者性を持って社会を見ていきましょうよ。という話をしている。そこに、父であることと、父ではないことの差は、本来ないはずでは。そもそも、結婚することも、子どもを持つという選択肢を持つことも自由なはずだ。という話をしている。子どもがいなくて幸福なひともいれば、結婚して子どももいて、何不自由なく暮らしていても不幸なひともいるだろう。そんな簡単に何かを言い切れることはない。

それでも、子どもはかわいいよね。いいよね。という、「いる側」の意見が多く採用される現実がある。「いない側」はいつか子どもができたらわかりますよ。と、言われる。言われてきた。しかし、自分も父になったときには言うのだろうか。いやあ、父になって変わりましたよ。などと。確かにパートナーがつわりに苦しんでいるのをすぐそばで見ていると、話には聞いていたがこんなにもつらそうなのか……吐くひとも少なくないし、もっとひどいひとはひどいらしい……といった現実は、この状況にならなければ自分の実感として知ることがなかっただろう。

それでもだ。それでも、つわりの時期が大変だったことは知識として知っていたはずでもあって、こんなに大変なのか……に言葉を足すとしたら、話には聞いていたが、こんなに大変なのか……である。

つまり、非当事者であっても他者を思いやることはできる。当事者じゃないあなたにはわからない。で突き放すこともできるが、当事者ではないけどあなたの大変さに寄り添うことはできるはず。想像力が及ばなかったとしても。それができる社会になればいいと思う。SNSを開けば分断分断の世の中だけど、割と本気で思っている。

誰かの、社会の、為政者の思う「普通」に巻き込まれずとも個人や、家族の幸福は追求できるし、そういった社会が望ましいはず。そんな当たり前のことだけど、疲れているとそんな「普通」に取り込まれそうになる。そんなときに目次を開くだけでもエンパワメントされる。そんな1冊だった。

そして、父になったとき、自分がどう変化するのか。しないのか。子どもがいる素晴らしさのようなものを説く人間になってしまうのか。今後自分がどう変化するのかも、少し気にしていたいと思う。

by
関連記事

    関連記事はありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です